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2010/01/06

これぞ名画座の鑑!早稲田松竹、ただいま「2001年」上映中。

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ビデオやDVDの普及によってすっかり影の薄くなった二番館、通称名画座ですが、都内でも未だに頑張っているところが何館かあって、そのうちの一つが早稲田松竹であります。

名画座の定石とおり早稲田松竹も2本立て上映が基本ですが、70年代の反体制映画をかけるとなると「イージー・ライダー」と「ファイブ・イージー・ピーセス」を組み合わせたり、イーストウッド特集なら「ミリオンダラー・ベイビー」と「グラン・トリノ」をカップリングしたり(なぜか直前になって前者は「マディソン郡の橋」に差し替えになりましたが)、映画のチョイスがムチャ濃くて、鼻血が出そうな感じです。

この早稲田松竹、なんでも一度は廃館に追い込まれたものの、早稲田の学生さんたちを中心に復活プロジェクトが旗揚げされて、2002年の暮れに見事に復活したのだとか(詳しくはウィキペディアをどうぞ)。上映される映画が濃いのには、恐らくこのあたりのことも関係しているのでしょう。

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その早稲田松竹では、なんと1月8日まで(本当はクーブリックと発音するのが正しいらしい)キューブリック不朽の名作「2001年宇宙の旅」を特別1本立て上映しております。まさかこの期に及んで本物の銀幕で「2001年」が拝める日がくるとは思いませんでした。いや〜参りました。

「2001年」の初公開は1968年のことですが、その翌年の1969年にもアポロ11号の月着陸成功に因んでリバイバル公開されています。実はこの2回目の上映のとき、幼いワタクシは両親に手を引かれてテアトル東京のシネラマ画面で「2001年」を観たのでした。それはあまりといえばあまりに強烈な映像体験で、以来ワタクシは「2001年」を生涯の友として馬齢を重ねてまいりました。

ですからまあ「2001年」で使われたシュトラウス「美しき青きドナウ」を中学2年のときまで「スケーターズ・ワルツ」だと思い込んでいたとか、1978年に9年ぶりで劇場公開されたときには、高校休んで初日の朝8時からテアトル東京に並んで3回続けて観たとか、「2001年」を巡っては思い出すのもイヤになるくらいの思い出があります。

2001shotiku 高校のときのワタクシは「2001年」にかぶれまくっていましたから、倫理社会で夏休みの宿題として哲学者を一人選んで論ぜよという課題が与えられると、「ツァラトゥストラ」つながりで当然ニーチェを選び、そのレポートの内容はといえば前半部分は西尾幹二の受け売りでしたが、後半分は勝手にテーマを「『2001年宇宙の旅』と神の概念について」に変えて提出するなど、ずいぶん滅茶苦茶なことをしていました。しかしそれでもちゃんと単位は取れましたから、今思うとあのときの倫理社会の先生はなかなかの大人物だったと思います(感謝)。

時代は下ってビデオが普及した頃には、仕事のストレスがきつくなると「2001年」を繰り返し観て暗記したHAL9000の台詞を呪文のように唱えては現実に立ち向かった(というか逃避していた)ワタクシですが、さすがに現在は少々斜めな気持ちで「2001年」を捉えております。が、しかし早稲田松竹のホームページに掲載されている「2001年」解説は、若かりし頃の思い出が蘇ってくるほど熱いのです。ザジさんという方の筆になる熱い血潮迸る作品解説、どうかご覧ください。

それにしてもやっぱり映画館はいいですね。上映後に壁張りの解説に老若男女が群がっているのを目の当たりにしたりすると、時代は変わっていないというか作品の不朽性を思い知らされるというか、ほんと30年前を思い出します。

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2010_5 ところで年明け早々に「2001年」とくれば、2010年の今年半ばまでには続編「2010年」が上映されるのは必至のなりゆきですが、 しかし「2010年」は「2001年」ほどの力はないので1本立ては到底ムリ。とすると果たしてどんな作品とカップリングさせるつもりで しょうか。いまから少々イジワルく楽しみにしておりますよ〜早稲田松竹さん(笑)。


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