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2009/02/02

野田秀樹「パイパー」鑑賞記念

Ccf20090202_00000_4 渋谷の東急文化村で観てきました、野田地図第14回公演、「パイパー」。宮沢りえ、松たか子主演。二人は姉妹という設定で、橋爪功などの名優が脇を固めます。すごい顔ぶれです。
で、物語の舞台となるのは人類が移住してから1000年後の火星。移民の多くが金星へと移住してしまい、火星に残った少数の人々が、火星移住1000年の歴史を振り返ったりするわけであります。SF的設定であることは間違いありません。

よかったです、すごかったです。といいましてもね、「よかった」の内訳はといいますと、「有名女優が生で見られてよかった」度が50%、ところどころに出てくる「早口セリフをよくぞここまで覚えたね」度が20%。残りの30%がラストシーンでありました。絶望的な状況のなかに一縷の希望がほのめかされるラストシーンは確かによかった、なかなか感動的でありました。

しかしですね、逆にいうと芝居の残り部分は面白くありません。人々の激情を吸い込む(だったかな?)ロボット、パイパーなる道具立てや、人民の幸福度を数値で表す「パイパー値」もお話には全然生きて参りません。

野田秀樹を観るのは始めてですが、いかにも暗記するのが大変な長尺のセリフを早口で延々と披露したり、くだらない言葉遊びでウケをとろうとするのは、ザ・ニュースペーパーの舞台ならそれでいいと思いますが、多少なりとも純正な芸術を志向している芝居としては、幼児的でしょうもないですね。そうはいっても前作「ダイバー」はとてもよかったそうですから、次回作に期待といったところでしょうか。

ところで、「パイパー」を観ていると、どうしても浮かんでくるSFの古典的名作がいくつかあります。誰がどう見ても筆頭に挙げられるのはレイ・ブラッドベリ『火星年代記』でしょう。

Okok_2 「パイパー」は過去1000年の歴史を遡る一方、『火星年代記』はオムニバス形式で時系列に物語が進行するといった違いはありますが、火星に移住した人類の歴史を辿るという点や、純粋な意味ではともにSFとは呼べない点、最後に残るのがポエジーであるという点では共通点は決して少なくありません。『火星年代記』は1950年の作品ですから、大変な古典ですが、その影響は21世紀の新作劇にまで及んでいるわけです。

「パイパー」には、他にも古典的なSF的テーマが他にも2つほど登場します(以下ネタバレ注意)。1つは「人食い」、もう1つは「最後に生き残った人々」であります。このSF的二大テーマについて、見ていくことにいたしましょう。(つづく)

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