イグ・ノーベル賞とブラッド・ミュージック
あけおめことよろ。さて、最近都会のマンションで見かけることは少なくなったようですが、それでもいるところにはいますね、ゴキブリ君。彼らが地球にその姿を現したのは3億年前といいますから、人類はおろかほ乳類すら存在しなかった太古の昔から、彼らはあのような姿であちこちをはいずり回っていたわけであります。
地球上の全人類が、とふりかぶるのは大げさとしても、少なくとも日本国に生を受けたほとんどの方は、スプレーやら粘着テープやらで彼と死闘を繰り広げた、というか一方的にゴキブリの殲滅を企てた経験があると思います。
で、ゴキブリが人の気配を察して、遁走を企てるときの様子を思い浮かべて欲しいのですが、あるときはその気配を消そうとじっと静止したり、追っ手が迫るとみるや部屋の隅っこへと必死で疾走したりするさまには、どう考えてみても知性のようなものを感じざるを得ないわけです。
ところが昆虫には神経節があるだけで脳みそはなく、高度な知性を裏付けるような解剖学的な特徴がない。さらにキリスト教的価値観が強い西洋では、地球上で神から知性を授けられたのは人間だけということになっている関係で、犬猫にさえも建前としてはなかなか知性を認めようとしせず、ましてゴキブリのような下等生物にもインテリジェンスがあるのではないかなど研究することは、神をも恐れぬ冒涜的行為だったのでありました。
しかし、遂に時は熟した。2008年11月、イタリアの研究者が「ゴキブリが敵から逃げるときの動きは一見ランダムに見えるが、幾つかの逃走ルートから1つを選択している」という研究成果を発表した(詳しくはこちら)。さすがにローマ法王をいただく国の研究であるから、「ゴキブリに知性あり」とは報告されていない。しかし、彼の国においても、ゴキブリ君はなんらかの知的判断をしているらしいいことは認めざるを得なくなったのだとはいえましょう。
さて、知性があるのは人間だけではなく脊椎動物だけでもなく、ゴキブリにもそれらしいものがあるということになれば、それではどこまで単純な生物にまで知性を認めうるかという大変な問題が降りかかるわけですが、原生動物にも知性があるという結論を出した方がこの日本にいらっしゃいます。北海道大学電子科学研究所、中垣俊之准教授がその人。
2008年度イグ・ノーベル賞に輝いた中垣先生の研究材料は粘菌です。粘菌を「小さく分けて、3㎝四方の迷路に置くと、広がって互いに合体し、入り込める 空間すべてを埋め」るのですが、しかし迷路の入り口と出口に餌を置くと、粘菌の変形体は、「『体』を行き止まりから離して、入口と出口を結ぶ最短の道 をつなぐ形になる」、すなわち迷路を解く力がある結論に帰着するわけです(くわしくはこちら)。
研究がイギリスの科学雑誌「Nature」2008年9月28日号に発表されると案の定、さっそく教会から「そんなものは知性と呼べない」という反論がなされますが、中垣先生はすかさず教会に反論するための実験も行ってみせたのでした。
中垣研究の成果を真正面から評価せずにイグ・ノーベル賞を与えたこと自体に、キリスト教的価値観を強烈に感じますが、いずれしても、中垣准教授の研究によって、知性とはなにか知的生物とはないか、という大命題の地平が大きく押し広げられたことは間違いないでしょう。
さて、原生動物にも知性あり、となるとコアなSFファンならかならず脳裏をよぎるだろう傑作が、グレッグ・ベア『ブラッド・ミュージック
』ですね。原形となる中編が1983年、長編化が1985年、ハヤカワからの翻訳出版が1987年ですからざっと20年前。中垣先生、ひょっとして『ブラッド・ミュージック』を読んで粘菌の世界に踏み込んだのではないかなどと思わず思ってしましそうな、知性を持った細胞が登場するとんでもないスケール作品であります。
(つづく)
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