2009年に振りかえる「80年代の幼年期の終わり」
グレッグ・ベア『ブラッド・ミュージック』を読んだときの衝撃は忘れがたいものがあります。これぞSFという感じもしましたが、なによりもここまでの結末にするか、という純粋な驚きのほうが強かった記憶があります。バイオ・ハザードめいた話ではあるのですが、なにしろ目に見えぬ微生物と闘うとか、そんな次元の話をあっさりと跳び越えて、物語は恐るべき結末へと突き進むのでありました。
時は現代。バイオ・ベンチャー企業ジェネトロン社に勤務する若き研究者ヴァージル・ウラムは、遺伝子操作によって自身の白血球をベースに知性ある細胞、バイオ・コンピュータを産み出すことに成功していました。この細胞群、迷路を解いたりもして、このあたりでは中垣先生の粘菌研究とそっくりの描写も出てきます。
実はこの研究、会社の正規プロジェクトではなく彼が密かに個人的に行っていた研究で、ついにバイオセキュリティ・コードに抵触する研究を勝手にやっていたことが会社に発覚。ウラムは遺伝子操作その他で産み出した微生物全てを滅菌処理したうえで、会社からおっぽり出される羽目へと追い込まれます。
自らが産み出した知性あるリンパ球への未練が残るウラムは、どうせ体内で生き残れるはずはないと考えながらも、こっそりと知性を持つリンパ球を自らの体内に注射してしまうのでありました。
そのようにして会社を辞した彼は、数日間は普通に暮らしていたが、なぜかここのところ体調がよい。同じころたまたま知りあって恋仲となる恋人に対しても、自ら驚くほどの性的能力を発揮したりします(4回)。このくだりはリメーク版映画「フライ」(1986年)と似てますね。
さて、そうこうするうちに、彼の体内では知性あるリンパ球が盛大に増殖していることが明らかになってきます。自分は生き延びて知性ある細胞だけを殺すことができないものかと友人の医者に相談したりするといった古典的なバイオハザード物語は、その後急激な展開をみせて、知らずに読めばここまでいくか!と驚愕すること間違いなしの途方もない世界へと引きずり込まれていくわけです。
人類のメタモルフェーゼを描いている点で『ブラッド・ミュージック』は、「80年代の『幼年期の終わり』だ」と評されることがありますが、ここにはクラークが描いた未だ相まみえぬ宇宙精神に対する畏怖の念といったものはなく、しかも人類の変容が人的なバイオ・ハザードによって引き起こされるという点からしても、何ともいえない救いのなさというか絶望感を感じざるを得ない物語ですが、とにもかくにも、中盤以降の展開は凄まじいものがあります。
映画化したら面白いのではないかな、と考えてみても、あの結末では「フランダースの犬」をハッピーエンドにしてしまうハリウッドは絶対作らないでしょうね。それでもとにかく歴史に残るSF傑作であることだけは確かで、中編版も長編版もヒューゴー賞、ネビュラ賞の両賞をもれなく受賞しています。
グレッグ・ベアには、ホモ・サピエンスから次ステップへの進化の可能性ついて、進化論的にまっこうから挑んだ『ダーウィンの使者
』という、これまた大変に面白い作品もあります。今西進化論をそのままフィクションにしたようなお話で、進化論について関心のある方には是非とも一読されることをお勧めしたい隠れた傑作ですが、品切れ中のようで誠に残念です(涙)。
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