わが心のSF映画その4 禁断の惑星
4本目のSF映画で早くも来たか、「禁断の惑星」。1956年公開の記念碑的SF映画であります。といっても、私は映画館では見てませんよ、生まれてもいません。
この年1956年には、立川市砂川町で米立川基地の拡張に反対する住民と警官隊が激しい激突を繰り広げ、全学連の学生たちがヘルメットも被らずゲバ棒も持たず、スクラム組んで警官隊に立ち向かって、それは60年安保闘争へと発展していくのであるが、そんな年の映画だったんですね、コレ。でも私は映画館では見ていませんよ、生まれてもいません。
とにかく「禁断の惑星」については日本語のウィキペディアまでありますからね。詳しく知りたいかたはそちらへどうぞ、と逃げておいてから思いつくままにストーリーを書いていくと、時は西暦2200年、人類はすでに星々に到達し、あちこちの惑星に移住し始めておりました。
で、人類が移住した惑星の一つにアルテア4という惑星があったが、なぜかこの惑星は長く消息を絶っていた。そこで様子を見るためにパトロール船がアルテアに着陸してみると、生存していたのは2人だけ。年老いた科学者モービアス博士とその妙齢の娘アルタであります。
この星には人類のおよびもつかない高度文明を発達させながら、なぜか滅亡したクレル人という先住星人があって、モービアス博士はクレル人の残したロボット、ロビーやらなにやらといった先端技術に囲まれて暮らし、自らもクレル人の装置によって知力を飛躍的に向上させていたのであった。
ところがなぜか移民した他の人々のこととなると、博士はなぜか口が重くなる。聞けば謎の怪物に襲われて全滅したのだという。そしてこのまま惑星にとどまれば、かならずやあの怪物が現れて悲劇が起こる。早く立ち去れとただ促すばかり。
パトロール隊は博士の意向を無視して滞在し続けるが、すると案の定、姿の見えない巨大な怪物が宇宙船を襲い、乗組員たちが次々と犠牲となるのであった・・・。
ということなのですが、この映画の雰囲気を一言でいうと、古き良き時代のアメ車のようなSFとでも表現すればいいでしょうか。
考えてみればSF映画に対する渇望は、どこかまだ見ぬアメリカに対する憧憬とオーバーラップする部分があって、「禁断の惑星」はでかいアメ車を見てすげえなあ、という思うあの感じの映画なのであります。博士の娘アルタはなぜかいつも超ミニスカート姿だったり、男女の仲というものを全く知らなかったくせにパトロール船の隊長とすぐに恋仲になったりとご都合主義のかたまりのようなストーリーで、それがホント、古き良きアメリカなのですね。
古いキャデラックにクラシック・カーとしての永遠の価値があるとすれば、「禁断の惑星」にもまた、同様の価値が宿っていると申せましょう(続く)。
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