わが心のSF映画その1 ミクロの決死圏
むかしむかし、外国製のSF映画が封切られるというと、小学生や中学生の間では「なんか凄い映画が来るらしいぜ」という雰囲気が広がったものだった。
少年サンデーやらマガジンやらといったマンガ雑誌でもかならずその映画についての特集記事が組まれて、あれこれ説明してくれたりしたのである。そこでワタクシが実体験したSF映画の思い出などを、思いつくままに語ってみたいと思うわけです。
ワタクシが一番の衝撃を受けたのはなんといっても「2001年宇宙の旅」であるが、「2001年」はクラークがらみということからいってもキューブリック作品ということからいっても、実に大変な映画なのでまたの機会に譲るとして、ワタクシが記憶している限りで外国の「凄いSF映画、特撮映画」の最初のものは「ミクロの決死圏」である。原題は"Fantastic Voyage"という退屈なタイトルだから、邦題が原題を凌いだ数少ない映画でもある。
近未来、人類はあらゆる物質をミクロ化する技術を手に入れていたが、それは60分しかミクロ化が持続しないという致命的な欠点がある未完の技術だった。ところが東欧の学者がミクロ化時間を延長できる画期的な発見だか発明だかをなして、西側へ亡命しようとするが、そうはさせじとする東側が暗殺を企てて、学者は脳に外科手術が不可能な重篤な損傷を受けてしまう。そこで、なんとか学者を体内から手術して救うために、60分の時間制限付きという不完全なミクロ化技術でもって、5人の乗組員が潜行艇プロテウス号もろともミクロ化されて体内に送り込まれる・・・といった筋で、いま考えてみても見所満載の面白い映画でした。
封切りは1966年ということだが、さすがにこのときワタクシが観ているはずはないので、70年代のリバイバル上映のときに観たのだと思う。そのときも雑誌やらにかなり取り上げられていて、偉いお医者さんが「最新の科学的知見に基づいて、実に正確に体内の様子を再現している」とかいって驚いてみせる記事が載ったり、ミクロ化されて体内に入っていく乗組員が着用するウェットスーツの型をとるために俳優がロウかなんかが入った水槽にじっと横たわったりしている写真が出たりと、とにかく結構な話題作だったのである。
ちなみにこの映画には肉体派女優のラクウェル・ウェルチが出演しているが、体にぴったり密着するウェットスーツというのは彼女の体の線をあからさまにする観客サービスの一環として捻り出されたらしい。
5人を乗せたプロテウス号が縮小されていくプロセスが良くできていて、わくわくしながら観たものだったが、体内に注入されてからも計算違いやらハプニングやらがいろいろあってハラハラドキドキの連続。結局5人は元のサイズに戻りかかるぎりぎりのところで患者の目から脱出してめでたしめでたしとなるのであるが、しかし幼いワタクシであっても、あれ? プロテウス号は元の大きさに戻らないのかなぁと怪訝に思ったのは事実で、この映画のノヴェラリゼーションを担当したアイザック・アシモフは、小説版では(まじめに考えればいずれにしても理屈に合わないことだらけのストーリーなのだが)ラストシーンを映画からは少々改変して、どうにか辻褄を合わせていますね。
いずれにしても、ミクロ化、体内への旅というのは魅力的なアイディアで、現在2010年の公開を目指してリメイクが進んでいるらしい。アシモフもアイディアそのものをよっぽど気に入ったのかオリジナルストーリーの科学的考証のいい加減さをどうにかしたいと思ったのか、設定新たにゼロから書き直したりしている(すみません、これ
は読んでません)。
これは余談だけど、SF翻訳家の浅倉久志が『ミクロの傑作圏』というショートショート集を出してます。70年代末にSFブームの嵐が吹き荒れたとき、ブームの尻馬にのってサンリオがSF文庫を創設したり徳間が「SFアドベンチャー」というSF雑誌を出したりしたけど、『ミクロの傑作圏』を出している出版社は、「SFアドベンチャー」の編集長をやっていた人が起こした会社であります。
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